幕末 [1774-1867] | 明治 [1868-1912] | 大正 [1912-1926] | 昭和 戦前・戦中 [1926-1945] | 昭和 戦後 [1946-1989] | 平成 [1989-1995] |
年次 | 日本史 | 弓道史 |
1774 (安永03) | 杉田玄白・前野良沢らの『解体新書』刊行 | |
1783 (天明02) | 天明の大飢饉 [-1787] | |
1787 (天明07) | 松平定信、寛政改革を行う | |
1792 (寛政04) | ラクスマン来航 |
小笠原常亮(00)、誕生 (没年から推測) 小笠原常亮(00)、初めて将軍家斉に拝謁し、笠懸の射手などを務める [9月] |
1795 (寛政07) | 鼠小僧次郎吉、誕生 | 徳山豊信(00)、誕生 |
1798 (寛政10) | 相馬大作、誕生 本居宣長『古事記伝』 |
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1804 (文化01) | レザノフ来航 高野長英・鳥居耀藏、誕生 |
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1808 (文化05) |
フェートン号事件 間宮林蔵、樺太 (サハリン) を探検 |
本多利重(00)、誕生。(没年から推測) |
1814 (文化11) |
黒住宗忠、黒住教を開教 [11月11日] 滝沢馬琴『南総里見八犬伝』刊行開始 |
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1815 (文化12) | 杉田玄白『蘭学事始』 井伊直弼、誕生 |
徳山豊信(20)、弓組 小笠原常高(00)、誕生 (没年から推測) |
1825 (文政08) | 異国船打払令 岩倉具視、誕生 |
徳山貴徳(00)、誕生。(没年から推測) |
1827 (文政10) | 西郷隆盛、誕生 |
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1828 (文政11) | シーボルト事件 | 浦上直置(00)、岡山藩医浦上孝庵の長子として誕生 |
1829 (文政12) | 葛飾北斎『富岳三十六景』 | 本多利重(21)、吹上御庭にて大的上覧 [11月] |
1833 (天保04) |
天保の飢饉はじまる [-1839] 歌川広重『東海道五十三次』 |
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1836 (天保07) | 榎本武揚・山岡鉄舟・出口なお、誕生 | 本多利実(00)、利重(28)の長男として誕生 [3月28日] |
1837 (天保08) |
大塩平八郎の乱 [2月19日] モリソン号事件 [6月28日] |
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1838 (天保09) | 中山みき、天理教を開教 |
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1839 (天保10) | 蛮社の獄 高杉晋作、誕生 |
小笠原常亮(47)、死去 [3月7日] |
1940 (天保11) | 渋沢栄一・黒田清隆・相楽総三、誕生 |
関口源太(00)、松本藩士村山長右衛門の次男として誕生 [5月18日] |
1841 (天保12) | 水野忠邦、天保改革を行う | 本多利実(05)、父利重及び津金胤保に師事し竹林派弓術を学ぶ [1月] |
1842 (天保13) | 木村時隆(00)、誕生 (没年から推測) | |
1843 (天保13) |
上知令 平田篤胤、死去 [11月2日] |
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1845 (弘化02) | 徳山豊信(51)、死去 [1月27日] 徳山貴徳(20)、家督(養父・徳山豊信)を継ぐ [1月] | |
1846 (弘化03) | 徳川家茂、誕生 | 小笠原清務(00)、神田に生まれる [11月] |
1848 (嘉永01) | 東郷平八郎、誕生 | 岡内木(00)、高松に誕生。初名は米太郎 [12月2日] |
1849 (嘉永02) | 乃木希典、誕生 | 関口源太(09)、この頃より木村喜仲、川井半九郎に竹林派弓術を学び始める |
1853 (嘉永06) | ペリー来航 | |
1854 (安政01) | 神奈川条約 高橋是清、誕生 |
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1855 (安政02) | 安政の大地震 | |
1856 (安政03) | 吉田松陰、松下村塾を開塾 |
小笠原常高(40)、死去 [1月28日] 小笠原清務(10)、大原簾次を後見人として、家を継ぐ |
1858 (安政05) |
安政の大獄 日米修好通商条約 [7月29日] |
関口源太(18)、18歳の時尾州に行き星野則得に師事、後免許 |
1859 (安政06) |
金光大神 (川手文治郎)、金光教を開教 [10月21日] 吉田松陰、刑死 [11月21日] |
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1860 (万延01) | 桜田門外の変 | |
1862 (文久02) | 生麦事件 | |
1863 (文久03) | 薩英戦争勃発 [7月2日] |
岡内木(15)、大的千射の内九百九十七本的中し、藩主より賞せられる [3月28日] 関口源太(23)、熊本藩士関口源太佐衛門世英の跡を継ぎ関口源太と名乗る。維新後信州に帰る。 |
1864 (元治01) |
禁門の変 [7月19日] 馬関戦争 [8月] 伊藤左千夫・川上音二郎・二葉亭四迷、誕生 |
徳永純一郎(00)、誕生。(福岡?) |
1865 (慶応01) | 長岡半太郎、誕生 | 三輪善輔(00)、誕生。福岡古賀町 [3月] |
1866 (慶応02) | 薩長同盟締結 [1月21日] |
本多利実(30)、正月に印可 [1月] 岡内木(18)、一昼夜肩様射込一万二千五百五十本試みる [2月25日] |
1867 (慶応03) |
大政奉還 [10月14日] 王政復古の大号令 [12月9日] 幸田露伴・鈴木貫太郎・夏目漱石、誕生 |
小笠原清道(00)、小笠原清務(21)の長男として猿楽長に生まれる [11月1日] 本多利重(59)、隠居 |
ノート |
本多流と黒住教本多流のホームページには本多利実の「日々の教訓」として「誠を取り外すな 天に任せよ 我を離れよ 陽気になれ 活物を捉えよ」との引用が掲げられています。これを Google で検索すると、同じ文句が黒住教の開祖である黒住宗忠の言葉として紹介されているページが見つかります。
詳細は分かりませんが、黒住教が開教するのが 1814 年、本多利実の生年が 1837 年であることを考えると、この言葉は本多利実のものではなく、黒住宗忠の言葉の孫引きと考えるのが自然でしょう。いずれにせよ、本多利実が黒住教から思想的に影響を受けていたのかどうか気になるところです。 |
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